第1回おやじジャズコンテストin神戸

第1回おやじジャズコンテストin神戸

ラジオ関西などが主催する「第2回おやじジャズバンドコンテストin神戸」の募集が6月30日締切です!
8月29日に県公館で本選が行われます。
兵庫県知事賞、神戸市長賞、ラジオ関西賞他
●本選出場の10バンドの中から、優秀バンド2組には2010年10月に六甲山で行われる六甲山夜景ジャズライブにて演奏いただけます(予定)。
●最優秀バンドにはRESTAURANT & LIVE SONEにて演奏いただき、その模様をラジオ関西「ジャズライブinソネ」にて生放送します。

予選エントリーはこちらから。
http://jocr.jp/event/oyajijazz/index.html

写真は昨年のコンテスト風景です。

e38195e38293e381b5e38289e3828fe38182e38080jazz_night

関西と九州を結ぶフェリーの定期航路「さんふらわあ」で、週末の大阪~別府、大阪~志布志(鹿児島)便で、ジャズのライブが楽しめます。

金曜日の夜の大阪発、土曜日の夜の九州発の便で、毎回、関西を中心に活躍しているジャズメンによるジャズライブです。

 詳しくは、下記にアクセスしてみてください。
http://www.ferry-sunflower.co.jp/jazz/index.html
 

nakamurayou-207x3001

 私事で申し訳ないが僕の母は大正13年生まれで、85を越えた今も、近所にある僕が生まれ育った家で元気に一人暮らしをしている。

 5人兄弟の3番目で長女。長兄と末弟は夭折と言ってもよい年齢で死に、母のすぐ上の兄も42歳で死んでいる。母と叔母だけが、80を過ぎた今も元気で、げに女性は強し。

 …というようなことを書きたかったわけではなく、今回は夭折した母の弟のことだ。

 僕の叔父にあたるわけだが、僕が生まれる3年前の昭和25年に19歳で死んでいるから、僕は当然会ったことがない。今、生きていたら78歳。母と母の兄弟はみんな神戸生まれだが、その父母、僕の祖父母は山口県の出身、祖父は山口県の周防大島の農家の三男坊。当時農家の次男坊以下は養子に行くのがあたりまえだったようで、祖父のほかの兄弟も皆、養子に行っている。祖父は養子に行くのが嫌で、神戸に出て来て、修行のあと貿易会社を起こした。アラブとかの中近東方面に繊維製品その他を輸出したり、先方から絨毯などを輸入したりしていたようだ。だから僕は子供のころ「お爺ちゃんが駱駝に乗っている写真がある」のが自慢だった。

 僕の生まれた頃、会社は順風満帆だったようで、運転手さんが運転する祖父の自家用車(シボレーだった)に乗せられ「お爺ちゃんを会社に迎えに行き」女子社員さんに「○○さん(運転手さん)その子誰?」「社長のお孫さんや」というような幼少時を僕は過ごしている。なかなかジャズの話に行かないがもう少し辛抱して読んでください。祖父は僕が小学校3年の時に死に、跡を継いだ次男である叔父も先に書いたようにその翌年42歳で早世。結局会社は人手に渡った。

 だから母の末弟である叔父が死ぬ前の数年というのは祖父の会社も隆盛を誇り、ひょっとして一番いい時代だったかもしれない。

 僕は生れた時からこの叔父に似ていると言われ続けてきた。確かに写真を見ると、よく似ている。顔だけではなくちょっとした仕草などが似ているという。

 この叔父が音楽をやっていたのだ。母の兄弟はみんな男もピアノやヴァイオリンをものしたのだが、音楽専門の道に進んだのはこの叔父だけだった。神戸一中から東京芸大に進学した。フルート奏者だった。祖父の跡を継ぐことになっていた次男の伯父は弟に「俺が稼ぐからお前は留学して一流になれ」と言っていたという。

 僕が高校生になって、フォークソングやロックに開眼し、家で友人と楽器を鳴らしたり、楽器を抱えて演奏しに行ったりするようになると、母は勉強そっちのけで音楽にのめり込む僕に頭を悩ましながらも、ますます僕の姿が叔父に重なると言っていた。

 灘区にあった家は二階建てで、たくさんの部屋があり、そこで楽器を鳴らしても近所から苦情がくるようなことはなかったという。あそこへ行けばはばかることなく楽器が演奏できるぞということで、叔父の友達、それは学校の友達ではなく音楽を通じて知り合った友達、中には叔父よりもずっと年上の人も来ていたそうだ。まだ戦後間もないころで、食料事情も悪かった時代、しかし祖父の商売が順調で、楽器を演奏しに来た叔父の友達に母と叔母は焼き飯などを作って食べさせていたという。「ほんまに毎日誰か来てた。それでどんちゃかどんちゃか楽器鳴らして…」

 この話は母からずっと聞かされ続けてきた。しかし、叔父はフルートをやっていて、東京芸大へ行ったクラシックの人…というのが僕の頭にはずっとあったのだ。母が貰い受けた叔父の遺品のSPレコードも大半がクラシックで、僕の叔父に対するイメージというのはずっと芸大へ行って本格的にクラシックをやっていた人…というものだった。

 しかし母の話に出て来る年上も含めた音楽仲間が毎日のように家に集まり「どんちゃかどんちゃか」というのにどこか違和感を覚えていた。母の年代の人ならギターのことを一律に「じゃかじゃか」とか言うようなこともあるが、自らもピアノを弾き、僕が中学生の頃から聴いていたポップスやロックにも理解を示す母のこと、なんか変だな…というのがその理由だった。叔父たちがクラシックの演奏をしていたのなら「どんちゃかどんちゃか」とは言わないのじゃないか。

 叔父は昭和25年、東京芸大に入学した一年後、病死した。しかしその後、家に来て演奏していた人たちの多くは焼き飯を作ってもらった恩義もあったのだろうが、ずっと母と叔母を大事にしてくれていたという。幼児の僕を知らない男の人が抱っこしている写真があって「これ誰?」と聞くと叔父の友人でしゅっちゅう家に来ていたBさんという方だという。僕は覚えていないが、僕のアルバムに貼ってあるので、強い印象が残っていた。

 前々回に書いたジャズ・ミュージカル『上海バンスキング』が評判となり、何度目かの公演が神戸文化ホールで行なわれることになった。母がこれを観たいというので連れて行った。客席に座っていると母のことを旧姓で呼ぶ髭面の男性がある。「あら~」それは幼児の僕を抱っこしてくれている写真がある死んだ叔父の音楽仲間Bさんだった。「Bさんよ」普通ならそんなこと急に言われてもわからないはずなのだが、写真を自分のアルバムでずっと見ているから僕もそれが誰なのか理解できる。「今も(音楽を)演ってるねん」とBさん「この人(僕)も演ってるのよ」「そらええわ」それだけ言葉を交わしただけだったが、僕には閃くものがあった。

 叔父は芸大でフルートをやっていたが、同時にジャズもやっていたのではなかったか。家に友達を読んで来て「どんちゃかどんちゃか」やっていたのはクラシックではなくジャズだったのではないか。母にそのへんのとこを尋ねるのだが、今ひとつはっきりしない。でも、叔父がジャズもやっていたのだと思ったら「どんちゃかどんちゃか」も含めた長年の疑問が氷解した気がした。お会いしたBさんも僕のアルバムの写真とは打って変わった髭面だった。顔で音楽をやるわけではないが、どうもあれはクラシックの人の顔じゃない。「今も演ってる」趣味でやっておられるのか、お仕事でやっておられるのか定かではないが、当時からジャズをずっとやり続けてきておられるとしたら、神戸のジャズ界の重鎮でいらっしゃるんじゃないか。

 結局、出演者による送り出しの演奏を聴くため母とロビーに出たのでBさんと喋ったのはそれだけ。その後はまた音信不通になった。

 ここへ来て一人暮らしの母の機嫌伺いに行き、昔の話を聞く機会が増えた。話すうち、叔父は絶対ジャズをやっていたという思いは確信的なものになっていった。

 日本のジャズ発祥の地と言われる神戸。ビッグネームはもちろんだが、現在もそうであるようにほかに仕事を持ちながら神戸にジャズを根付かせて行ったたくさんの人たちがいるはずだ。叔父は絶対そんな人たちの中にあってジャズ「も」やっていたのだ。もし、今も生きていたら…。これを読んでくださっている方の中で、終戦直後、篠原本町にあった僕の祖父の家へ来てジャズを演奏していらっしゃった方はないでしょうか。そして、昭和6年生まれで神戸一中から東京芸大へ行き、入学した翌年夭折した藤山収三郎をご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。いらっしゃったらぜひ当サイトまでご一報ください。

若き実力派ピアニスト、ハクエイ・キム、ベースの杉本智和、ドラムの大槻“KALTA”英宣らが構成するジャズトリオ「Trisonique(トライソニーク)」によるライブ「Jazz in 神戸」が6月5日、神戸・ポートアイランドで開かれた。
会場のジーベックホールには、夫婦や母娘連れの客の姿が目立ち、休日の夜をジャズとともに満喫した様子だった。

◇ ◇

グループ名である「Trisonique」。
「Tri=3(人)・Sonic=音・Unique=唯一無二」という単語から生み出された造語だそうです。
ピアノ・ベース・ドラムが互いに重なり合い、響き合って紡ぎだされる音楽。
繊細で情緒的なメロディーラインと身体から湧きあがるままに表現した圧倒的なビートが生み出す、見事なグルーヴ感。
それはまさに、メンバーの3人だけが創り出せる世界でした。

この日披露したのは、全10曲。
マレーシアの首都にちなんだ「クアラルンプール」や木に積もる雪に思いを馳せた「ホワイト・フォレスト」等のオリジナル曲を中心に、スタンダードナンバー「テイク・ファイブ」を盛り込んだ、充実の内容です。

ほとんどがハクエイさんの手がけたナンバー。
自身の曲については、
「思い出や空想、妄想に基づいているんです…」と、はにかみながら話されました。
演奏時のピシッとした雰囲気とはまた違う、少しゆるいトークもまた彼の魅力。
会場は笑い声とともに穏やかなムードに包まれました。

例えば「ニュータウン」という曲。
これは、ハクエイさんの大好きだという、オーストラリアのシドニー近郊にある街の名前。
多様な人種が暮らすこの街は、「人種の既成概念が見事に覆される」場所であったそうです。

美しくも力強いピアノの旋律、
歌うようなベースライン、
変幻自在なドラムが刻むリズムが絡み合うことで生まれる、心地よい響き。
様々なハーモニーやリズムがパズルのピースのように組み合わされており、タイトル通り、ニュータウンの街を象徴するかのようでした。

卓越した才能や技術の土台には、豊かな感受性がある。
心の中に蓄積された記憶や
独自の感性によって音を紡ぐハクエイさんの姿勢から、
このように感じました。
まっさらな心。
表現者にとって、最も大切な要素なのではないでしょうか。

ジャズを身近に感じられる、心のこもったジャズコンサート「Jazz in 神戸」。
今年も素敵な音楽と出合うことができました!
92年から続くこのイベントですが、
残念なことに、来年で幕を閉じることが決定されたそうです。

音楽は十人十色。
これまでに足を運んだことのある方もそうでない方も、
それぞれの感じ方で、ぜひ来年度の最終コンサートを楽しんでいただければと思います。

ジーベックホール

ジーベックホール

photo_kunihiro-takuma

photo_kunihiro-takuma

ず~っと不思議に思っていたのですが、ジャズの世界では、ヴァイオリンはあまり登場しません。なんでだろう。ジャズのベースであるブルースを演るにはぴったりなんですがね。弓で弾くということとジャズのリズムが合わないのでしょうか。そういえばベースもほとんどが指ではじくし。ジャズのヴァイオリンのパイオニアはステファングラッペリ。もう亡くなりましたが、伝説のギタリスト ジャンゴラインハルトとコンビを組んでいた人ですが、恥ずかしながら、彼くらいしか知りませんでした。それが、ひょんなことから数年前、東京の或るジャズクラブが主宰した静岡のゴルフクラブを借りてのジャズライブ。その時、噂に聞いていた寺井尚子さんのヴァイオリンを聴く機会がありました。スタンダードあり、オリジナルありで、演奏は、エネルギッシュで、リズム感に溢れ、そして抒情的に。魅了されてしまいました。今までなぜジャズの世界でヴァイオリンが活躍してこなかったのか。今度は、別の疑問がわいてきてしまいました。まさしく、自分にとって新しいジャズの世界が開けました。

 今や、寺井尚子さんは、アメリカの錚々たるジャズメンとの共演も数あり、日本を代表する、というより世界のヴァイオリニストです。
 精力的にCDをリリースし、コンサートツアーもこなしの寺井さんですが、詳しくは以下のホームページを見てください。
  http://www.t-naoko.com/profile.html

 寺井さんがこの神戸でコンサートを開きます。7月17日(土)18:00~と18日(日)13:00~ で、場所は、新神戸オリエンタル劇場です。
 全席指定で、5,000円です。お問い合わせは、新神戸オリエンタル劇場 078-291-1100です。
 演奏メンバーを紹介します。
寺井尚子(ヴァイオリン)、北島直樹(ピアノ)、店網邦雄(ベース)、
中沢剛(ドラムス)

 楽しみにしています。

(ジャズの街~神戸 安田英俊)