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日々、いろんな場所でお仕事をしていると、たくさんの方々に出会います。そして、たくさんの元気を頂きます。

数年前、淡路島の老人ホームへ演奏に行きました。「テナシーワルツ」や「リンゴの木の下で」など、皆様が懐かしそうに笑顔で聞いて下さって本当に嬉しかったことを覚えています。

演奏後、木下さんと言うおじいさまがお声をかけて下さって、今でも時々、お手紙の交流が続いています。

それに、貼り絵作りの趣味も持ってらして、お正月には干支を、夏には涼しげな金魚の作品などを送って下さいます。

今年もいよいよ暑くなり、木下さんから夏のお便りが届きました。丁寧に梱包された小包をほどくのは、年に2回のお楽しみです。

今回は「初めてのディズニーです」とのことで、ミッキーマウスが元気にサッカーをしています。(なでしこジャパン!おめでとうございます☆)

添えられたお手紙にはこう書いてありました。「正木さんも毎日ステージいそがしいと思いますが、ミッキーさんの絵のように、暑さにまけず元気でお仕事頑張ってくださいね」

もう・・・胸がいっぱいになってしまったのでした。

たくさんの幸せな出会いが、静かに私の中で宝物になっていきます。今、日本は大変な時です。それに、今年も暑い暑い夏がやって来ました。

皆様も、ミッキーさんのように元気にお過ごしください。みんなで一緒に、この時を乗り越えましょう。
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正木麻衣子

8/28 おやじジャズバンドコンテスト観覧無料!

■本選開催日時 2011年8月28日(日) 13:00~16:00(開場:12:30)
■会場 兵庫県公館
神戸市中央区下山手通4丁目4番1号

【会場へのアクセス】
●JR・阪神(山陽)
元町駅下車西口北へ徒歩5分

●神戸高速神戸(阪急・山陽)
花隈駅下車東口北東へ徒歩10分

●市営地下鉄
県庁前駅下車 西5番出口すぐ
■出演 予選を通過したアマチュアバンド
■特別番組放送 当日の様子はラジオ関西の特別番組として放送します。
※放送日時 9月13日(火) 20:00~21:00
■備考 観覧ご希望の方は、当日直接会場へお越しください。
※満員の場合は、入場をお断りすることがあります。予めご了承下さい。

■主催 おやじジャズバンドコンテスト」in神戸 実行委員会
(兵庫県神戸県民局・神戸市・(社)ひょうごツーリズム協会・
  (株)神戸新聞事業社・(社)ラジオ関西)
■協力 神戸CITYジャズ委員会・日本学校ジャズ教育協会(JAJE)関西本部
■後援 神戸新聞社・サンテレビジョン
■問い合わせ おやじジャズバンドコンテストin神戸 実行委員会(ラジオ関西内)oyajijazz3
TEL:078-362-7374
http://jocr.jp/event/oyajijazz/index.html

ジャズの街神戸は、海と山に囲まれています。その神戸に最もふさわしいひとときの過ごし方をご案内します。
沈む夕日と神戸の夜景を楽しみながら船上でのジャズを堪能する「サンセット・ジャズクルージング」
神戸の加納町にあるジャズライブとお酒のお店「Bar Martini」が企画するイベントで、今回が10回目となります。
船は、「オーシャンプリンス」、9月4日(日)の17:00に受付開始、17:30に乗船開始です。

会費は、5,000円で、ドリンク飲み放題。定員は、150名。
出演メンバーは、次の通りです。

1階ステージ
山口恵美(Vo)、楠元なおこ(Vo)、浅香久志(Vo,Ts)、川瀬健(Pf)、小出泰正(Bs)、中島幹雄(Ds)

2階ステージ
高橋リエ(Vo)、浅井良将(As)、東川靖雄(Ts)、越山満美子(Pf)、時安吉宏(Bs)、村上友(Ds)

お問い合わせは、078-322-1117 Bar Martini まで。

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(ジャズの街~ 神戸 安田英俊)

ジャズ大好きな噺家さんの桂南光さんが楽しいTalkを聞かせてくれて、きれいな音色のアルトサックスと力強いテナーサックスを河田健さんが演奏してくれる「ほのぼのジャズ倶楽部」は、もう14年も続いているそうです。

今回が21回目ですが、ロックの殿堂、神戸のチキンジョージでは3回目となります。

出番の合間にジャズ喫茶に通い詰めていたという桂南光さん。噺をきいていると本当にジャズが好きなんだな、と感心させられます。一時、河田さんのところでサックスを習っていたとか。サックスの師匠になるんですかね。

今回は、トランペットの第一人者田中洋一さんとパワフルでしっかりした歌を聴かせてくれる正木麻衣子さん、若手新進気鋭のピアニスト大友孝彰さんとベースの宮野友巴さんをベテランドラマーの澤雅一さんが支えます。

曲目は、Blues March、Nica’s Dream、五つの銅貨等です。

9月4日(日)の16時開場、17時開演で、料金は、前売3,500円、当日4,000円で別途ドリンク代1,000円が要ります。

お問合わせとチケットは、078-332-0146 チキンジョージまで。
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(ジャズの街~神戸 安田英俊)

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 敬愛する音楽評論家・中村とうようさんが亡くなった。数年前から、ご自身が創刊された『ミュージックマガジン』『レコードコレクターズ』などを発行しているミュージックマガジン社のすべての役職から引かれ、客員教授を務めておられた武蔵野美術大学へ膨大な量のレコード、本を寄贈されるなど、〝整理に入っておられる〟のは薄々感じていた。でも『ミュージックマガジン』が『ニューミュージックマガジン』というタイトルだった頃から40年以上にわたって毎月連載して来られた「とうようズトーク」(会社からは引かれてもこの連載だけは続けておられた)の7月20日に出た8月号掲載分でも現政権の体たらくに対してお元気に吠えておられたのを読んだところだったので本当に残念で、残念でならない。
 僕が真剣に音楽と対峙し、自らも音楽をやるようになる以前からポピュラーミュージックの紹介者として、音楽評論家として、一家を成していたとうようさんだが、正に僕がロックやフォークソングにのめり込み、人前で歌い始めるのと時を同じくして先述の雑誌『ニューミュージックマガジン』を創刊される。グラビアでミュージシャンをアイドルのように紹介するのが音楽雑誌一般の趨勢だった時期に、ほとんど写真もなく、主として当時勃興期にあったロックについての精神的なことも含めた深く鋭い考察や、レコード会社のプレスリリース丸写しではない、時には超辛口にもなるレコード紹介はまだ15歳だった僕のその後の音楽への対峙し方に絶大な影響を与えてくれた。
 当時、時代を一番的確に写す最先端の音楽がロックだった訳だが、そうではあっても決してロックだけを聴いていて良い訳ではなくあらゆるジャンルのポピュラーミュージックに耳を傾けておいた方がよりロックを楽しむことができることを教えてくれたのも『ニューミュージックマガジン』であり、とうようさんであったのだ。
閑話休題、とうようさんと僕の間には血縁関係というのはまったくない。とうようさんも僕も本名のファーストネームの方を平仮名表記にしただけ(僕の場合は本来「よう」と書くところを「よお」と書いてはいるが)考えて見ればこれはすごく不思議なことだ。でも、とうようさんという方の存在はずっとずっと前から僕にとってあたりまえのものだったので、あえてそれを意識するようなことはなかったのだ。『ニューミュージックマガジン』が70年代初期に出していた『ミュージックレター』という新聞に17歳だった僕が書いた論文を載せてもらった時ももう既に僕は「中村よお」を名乗っていたし、その後『ニューミュージックマガジン』のニュース欄にミュージシャンとしての僕の動向をちょくちょく載せて戴いたりもしていた。とうようさんが編集長(当時)の雑誌でこの名前…。恐らくとうようさんは「なんだ、こいつ…」と思っておられたに違いない。音楽ライターの仕事をするようになってからは「何も考えずに(というか本名だから仕方ないのだが)この名前で投稿していた10代のときとは違って、言わばこの名前を確信犯的に看板にあげて音楽ライターをやっているのだから、とうようさんの会社の仕事は来ないだろうなあ」と思っていたのだが、その直後からもう何年にもわたって『レコードコレクターズ』には毎月、「ミュージックマガジン」にも時々(9月号にも書かせて戴いた)原稿を書かせてもらっている。2007年3月号の遠藤賢司さんの特集では、僕の原稿ととうようさんの原稿が並んで掲載された。うれしかった。
たまに編集部へ行くことはあってもとうようさんとお会いすることはなかった。ほかの場所でとうようさんのことを遠目に見たことは何度もあったが、お話しすることは遂にないままだった。
『レコードコレクターズ』は創刊時、とうようさんがこれまたお好きな古いジャズのレコードなどに愛着を持ち、それを収集することを無上の歓びとする読者のための雑誌としてスタートさせた。ロックからブルース、ワールドミュージックへと『ミュージックマガジン』(もうこのタイトルになっていた)を読みながら音楽の興味を広げて行きつつも、古いジャズというのは惹かれながらも詳しくはないジャンルだった。それが『レコードコレクターズ』を手引きとしてこれらにのめり込んで行くようになったのだ。キャブ・キャロウエイ、ザビア・クガート、ビング・クロスビー…そして二村定一、川畑文子、べティ稲田ら戦前の日本人ジャズ歌手、ナット・コール・トリオ、ミルス・ブラザーズ…。創刊号から色川武大氏の『命から二番目に大事な歌』が連載されたおり、この中でもたくさんの古いジャズソングの魅力を知った。この連載は後に『唄えば天国ジャズソング』のタイトルで単行本化された。この時期の『レココレ』は今も手元に置いてある、僕にとってのジャズソングの大切なガイドブックである。その後同誌はロック中心の内容に変わっていったが(だからこそ、僕が仕事できるようになったのだが)ジャンルは違っても真摯に音楽に向き合う姿勢は変わらない。それはとうようさんが79年の人生において一貫して貫いてこられたものであったと思う。7月号で特集が組まれたキャンディーズに対してもそれは変わることがなくうれしかった。
とうようさん、長い間ありがとうございました。とうようさんに教えてもらったやり方でこれからもいっぱい、いっぱい音楽を聴いて行きます。で、それについていっぱい、いっぱい原稿を書いていきます。