2008年3月18日掲載
志伝える5棟の重文 京都・同志社大学今出川校地
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比叡山(右上)を背景に修復された威容を見せるクラーク記念館。塔屋の左にある、屋根から飛び出した2つの飾り窓が復元された「ドーマー窓」=いずれも京都市上京区今出川通烏丸東入 |
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歴史ある煉瓦建築が並ぶ今出川校地。右はハリス理化学館
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細かな装飾が施されたハリス理化学館の階段。新島襄のひつぎを担ぐときに用いた木材が手すりに使われたという説があるが、真偽は不明 |
同志社大学の今出川校地(京都市上京区)には、明治時代にできた国重要文化財建築が五棟ある。赤煉瓦(れんが)の洋館が立ち並ぶキャンパスを歩けば、開学したころの志が伝わってくる。(田中靖浩)
西門を入ると、すぐ左側で時計塔が空を突く。現在は同志社中学校舎として使われている彰栄館だ。一八八四(明治十七)年の完成で、現存する煉瓦建築としては市内最古。白い隅石や窓の上のアーチなど、装いは洋風だが内部の小屋組は純和風という。
隣の礼拝堂(一八八六年完成)は、五棟の中で延べ床面積が最も小さい。しかし、大胆なスカイラインを描く急傾斜の切り妻屋根をはじめ、側壁を支える控え壁、尖(せん)塔アーチ、丸窓のステンドグラスが印象的だ。
ハリス理化学館(一八九〇年完成)の設計者は、英国の建築家ハンセル。神戸市中央区の旧ハッサム邸や同市垂水区の旧グッゲンハイム邸を手掛けたことで知られる。端正なデザインや大きな窓が、学びやらしいまじめさを感じさせる。現在は事務棟として使われ、二階に創立者の新島襄を顕彰する展示室がある。
キャンパスの最も奥にあるのが同志社のシンボル的な建物、クラーク記念館(一八九三年完成)だ。阪神・淡路大震災で壁が破損するなど老朽化し、二〇〇三年から始めた修復工事が今年二月に完了した。塔屋の黒い鉄板や屋根から飛び出した飾り窓、二階のチャペルなど、失われていた創建時の姿がよみがえった。
正門近くの有終館(一八八七年完成)は、初代の図書館。館内の総長室では、かつて新島も執務したという。昭和初期に火災に見舞われたが、復旧工事で内側から補強し外観は保たれた。
今も凛(りん)とした雰囲気をもつ赤煉瓦の建物。背筋が伸びる思いがした。 =おわり
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西門を入ると、すぐ左側で時計塔が空を突く。現在は同志社中学校舎として使われている彰栄館だ。一八八四(明治十七)年の完成で、現存する煉瓦建築としては市内最古。白い隅石や窓の上のアーチなど、装いは洋風だが内部の小屋組は純和風という。
隣の礼拝堂(一八八六年完成)は、五棟の中で延べ床面積が最も小さい。しかし、大胆なスカイラインを描く急傾斜の切り妻屋根をはじめ、側壁を支える控え壁、尖(せん)塔アーチ、丸窓のステンドグラスが印象的だ。
ハリス理化学館(一八九〇年完成)の設計者は、英国の建築家ハンセル。神戸市中央区の旧ハッサム邸や同市垂水区の旧グッゲンハイム邸を手掛けたことで知られる。端正なデザインや大きな窓が、学びやらしいまじめさを感じさせる。現在は事務棟として使われ、二階に創立者の新島襄を顕彰する展示室がある。
キャンパスの最も奥にあるのが同志社のシンボル的な建物、クラーク記念館(一八九三年完成)だ。阪神・淡路大震災で壁が破損するなど老朽化し、二〇〇三年から始めた修復工事が今年二月に完了した。塔屋の黒い鉄板や屋根から飛び出した飾り窓、二階のチャペルなど、失われていた創建時の姿がよみがえった。
正門近くの有終館(一八八七年完成)は、初代の図書館。館内の総長室では、かつて新島も執務したという。昭和初期に火災に見舞われたが、復旧工事で内側から補強し外観は保たれた。
今も凛(りん)とした雰囲気をもつ赤煉瓦の建物。背筋が伸びる思いがした。 =おわり

※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
志伝える5棟の重文 京都・同志社大学今出川校地(2008-03-18)





