2007年4月30日掲載
絶景岩の上の展望台=@賀茂神社
たつの市御津町室津
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参籠所から瀬戸内海が一望できる=たつの市御津町室津 |
「日本で見た最も美しい景色のひとつ」「海中に突き出ている岩の上に建っている展望台に腰かけているよう」
一八二六年、長崎・オランダ商館長が将軍に謁見(えっけん)するための江戸参府(さんぷ)に同行し、室津に立ち寄ったドイツ人医師シーボルトは紀行文で、賀茂神社の一角にある参籠(さんろう)所からの眺望を絶賛した。今は閉ざされており、扉が開くのは祭りや講演会などのときに限られている。
室津は、古くから海路と陸路の要衝として栄えた。平安末期には上賀茂神社(京都市)の社領である「御厨(みくりや)」となった。神社は湾に突き出す高台にあり、檜皮葺(ひわだぶき)の社殿などが並ぶ。十二世紀には現在とほぼ同じ姿で建物が配置されたという。
江戸参府、朝鮮通信使、参勤交代の西国大名…。多くの人や物、情報が行き交い、天然の良港を擁した宿場町は大いににぎわった。
往事の名残は、神社所蔵の絵馬「蘭船図」(市指定文化財)にも。長崎の洋風画家の作品で、江戸参府に同行した日雇頭が奉納した、とされる。船員の表情まで細かな筆致で描かれている江戸後期の作で、普段は非公開だが、市教委が来年、特別展を開くという。
本殿など八棟は国重要文化財。圧倒的な存在感がある。地元のまちづくりグループ「『嶋屋』友の会」事務局長の柏山泰訓さん(59)は「古い略地図でも必ずといっていいほど神社を示す鳥居の印が描かれている。港のシンボルであり室津にとって欠かせない存在だった」とみる。
岡研作宮司(56)に参籠所を案内してもらう。雨戸をそろりと開ける。外の光が潮風と溶け合うように薄暗い室内に差し込み、眼前に瀬戸内海のパノラマが広がった。
「シーボルトが見た景色は今も同じ。次世代に受け継ぐ責任を感じている」と岡宮司。時代は移ろう。帆船は漁船に姿を変えたが、変わらぬ航跡を波間に描いていた。(記事・写真 峰大二郎)
一八二六年、長崎・オランダ商館長が将軍に謁見(えっけん)するための江戸参府(さんぷ)に同行し、室津に立ち寄ったドイツ人医師シーボルトは紀行文で、賀茂神社の一角にある参籠(さんろう)所からの眺望を絶賛した。今は閉ざされており、扉が開くのは祭りや講演会などのときに限られている。
室津は、古くから海路と陸路の要衝として栄えた。平安末期には上賀茂神社(京都市)の社領である「御厨(みくりや)」となった。神社は湾に突き出す高台にあり、檜皮葺(ひわだぶき)の社殿などが並ぶ。十二世紀には現在とほぼ同じ姿で建物が配置されたという。
江戸参府、朝鮮通信使、参勤交代の西国大名…。多くの人や物、情報が行き交い、天然の良港を擁した宿場町は大いににぎわった。
往事の名残は、神社所蔵の絵馬「蘭船図」(市指定文化財)にも。長崎の洋風画家の作品で、江戸参府に同行した日雇頭が奉納した、とされる。船員の表情まで細かな筆致で描かれている江戸後期の作で、普段は非公開だが、市教委が来年、特別展を開くという。
本殿など八棟は国重要文化財。圧倒的な存在感がある。地元のまちづくりグループ「『嶋屋』友の会」事務局長の柏山泰訓さん(59)は「古い略地図でも必ずといっていいほど神社を示す鳥居の印が描かれている。港のシンボルであり室津にとって欠かせない存在だった」とみる。
岡研作宮司(56)に参籠所を案内してもらう。雨戸をそろりと開ける。外の光が潮風と溶け合うように薄暗い室内に差し込み、眼前に瀬戸内海のパノラマが広がった。
「シーボルトが見た景色は今も同じ。次世代に受け継ぐ責任を感じている」と岡宮司。時代は移ろう。帆船は漁船に姿を変えたが、変わらぬ航跡を波間に描いていた。(記事・写真 峰大二郎)

★天然記念物 境内のソテツは野生種としては日本列島の北限。
★賀茂神社TEL079・323・3171
【アクセス】山陽自動車道龍野西インターチェンジから車で約30分
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
絶景岩の上の展望台=@賀茂神社(2007-04-30)













