2007年9月3日掲載
霧の奥「神々が宿る森」 伊和神社
宍粟市一宮町須行名
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巨樹、銘木が荘厳な雰囲気を醸し出す=宍粟市一宮町須行名 |
国道29号沿いに、スギやヒノキの大樹がうっそうと茂る。空を覆い、辺りは風に揺れる葉音やセミ時雨が響く。広大な境内へ歩を進めるうち、外界から閉ざされていくような気分になる。鳥居をくぐると、木立から漏れる光の中、荘厳な社殿が鎮座していた。
播磨一の宮として人々の尊崇を集め、「播磨国風土記」にも登場する葦原志許乎命(あしはらのしこおのみこと)(伊和大神)を祭る。「鎮守の森に、神々が宿ると感じる人も多い」と安黒秀幸宮司。
風土記によると、伊和大神は、現在の佐用町にあたる「讃容(さよ)の郷(こおり)」から播磨入りし、宍粟市一宮町を指す「宍禾(しさわ)の郷伊和」を拠点に、朝鮮半島から渡来した天日槍命(あめのひぼこのみこと)との激戦の末、播磨の地を支配したと伝えられる。
その後、農・工・商、病気、縁結びと、八百よろずの神としてあがめられるようになった。
偉業をたたえるかのように、宍粟の地名には伊和大神にまつわるものが多い。天日槍と谷を奪い合い、川が藤(ふじ)つるのように曲がった「奪谷(うばいだに)」は同町染河内地区に残る。揖保川上流で盛んだった製鉄の技師を天日槍の軍勢と勘違いし、「はからざるに」と驚いたことから波賀の名が付いたとか。
「『佐用の朝霧、宍粟の夕霧』と伝えられまして…」と、安黒宮司から意外な逸話も教えてもらった。伊和大神は、いったんは妻となり、その後別れることになる佐用都比売神(さよつひめがみ)に会うために、夜霧の中を隠れて讃容の郷を訪れたという。
また、現在の姫路市安富町である「安師(あなし)の郷」の安師姫神(あなしひめがみ)への求婚を断られると、伊和大神は怒りの余り、石で水源をふさいでしまう。そのためか、林田川の上流は水量が少ない。神らしからぬ色恋ざただが、縁談も国を占領するためで、激しい領地争いを象徴しているとの説もある。
神話が、古代の覇権争いを分かりやすく今に伝える。播磨の起源は奥が深い。(記事・写真 若林幹夫)
播磨一の宮として人々の尊崇を集め、「播磨国風土記」にも登場する葦原志許乎命(あしはらのしこおのみこと)(伊和大神)を祭る。「鎮守の森に、神々が宿ると感じる人も多い」と安黒秀幸宮司。
風土記によると、伊和大神は、現在の佐用町にあたる「讃容(さよ)の郷(こおり)」から播磨入りし、宍粟市一宮町を指す「宍禾(しさわ)の郷伊和」を拠点に、朝鮮半島から渡来した天日槍命(あめのひぼこのみこと)との激戦の末、播磨の地を支配したと伝えられる。
その後、農・工・商、病気、縁結びと、八百よろずの神としてあがめられるようになった。
偉業をたたえるかのように、宍粟の地名には伊和大神にまつわるものが多い。天日槍と谷を奪い合い、川が藤(ふじ)つるのように曲がった「奪谷(うばいだに)」は同町染河内地区に残る。揖保川上流で盛んだった製鉄の技師を天日槍の軍勢と勘違いし、「はからざるに」と驚いたことから波賀の名が付いたとか。
「『佐用の朝霧、宍粟の夕霧』と伝えられまして…」と、安黒宮司から意外な逸話も教えてもらった。伊和大神は、いったんは妻となり、その後別れることになる佐用都比売神(さよつひめがみ)に会うために、夜霧の中を隠れて讃容の郷を訪れたという。
また、現在の姫路市安富町である「安師(あなし)の郷」の安師姫神(あなしひめがみ)への求婚を断られると、伊和大神は怒りの余り、石で水源をふさいでしまう。そのためか、林田川の上流は水量が少ない。神らしからぬ色恋ざただが、縁談も国を占領するためで、激しい領地争いを象徴しているとの説もある。
神話が、古代の覇権争いを分かりやすく今に伝える。播磨の起源は奥が深い。(記事・写真 若林幹夫)

★伊和神社TEL0790・72・0075
【アクセス】神姫バスで山崎停留所から18分、一の宮伊和神社下車。運賃580円。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
霧の奥「神々が宿る森」 伊和神社(2007-09-03)











