2007年10月22日掲載
英雄・長治が眠る森 法界寺
三木市別所町東這田
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別所長治公の墓所(左)と石像=三木市別所町 |
「法界寺は別所長治一族の菩提(ぼだい)寺である。長治の遺徳を仰ぐべし」
来年三月末に廃線となるローカル線「三木鉄道」の沿革を調べるため、前身の播州鉄道が一九一五(大正四)年に発行した本「播州鉄道沿線百景」を繰っていると、法界寺を紹介する一節を見付けた。「訪ねるべき名所旧跡」とある。
本を片手に三木鉄道の電車に乗り込んだ。最寄り駅は、乗車した三木駅から二駅目の別所駅。わずか三分で到着した。
山門は、駅から南東約二百メートルの緑豊かな一角に見えた。参道を登るうち、右側にある木造の小屋に気がついた。長治の墓所だった。約三メートルある白い石像は、馬に乗った長治の姿だった。「領民を救うため、自ら命を絶たれた長治公の遺徳をしのんでいる」。北川真昭住職(80)が教えてくれた。
ときは戦国時代。東播磨一帯を治める別所一族の拠点・三木に、羽柴秀吉率いる織田軍が攻め入った。激戦の末、ろう城した別所軍は兵糧の補給を絶たれ、城兵は草木で食いつないだ。戦いの幕を引くため、長治をはじめ一族が自害した。寺には亡きがらが埋葬されたと伝わる。
参道を登り切ると、本堂があった。長治をしのぶ「三木合戦絵解き」が毎年、四月十七日に営まれる。市内の教諭らが務める語り手は三十分間、掛け絵を指しながら合戦の経緯を述べる。
「三百年前に始まった行事。合戦を題材にした絵解きは、全国でも珍しいですよ」と北川住職。
幹まわりが約一メートルあるイチョウの木の脇を通ると、独特の香りが鼻をついた。そういえば、昨秋、テレビ時代劇「水戸黄門」のロケが境内であった。「ご老公を育てた人は、別所氏ゆかりの人物と伝わる」と撮影誘致に成功した地元は沸いた。
「いろんな面で長治の遺徳は永遠」と認識した。帰路の電車内で、手にする本が世に出たのが、つい最近のことのように感じられた。(長尾亮太)
来年三月末に廃線となるローカル線「三木鉄道」の沿革を調べるため、前身の播州鉄道が一九一五(大正四)年に発行した本「播州鉄道沿線百景」を繰っていると、法界寺を紹介する一節を見付けた。「訪ねるべき名所旧跡」とある。
本を片手に三木鉄道の電車に乗り込んだ。最寄り駅は、乗車した三木駅から二駅目の別所駅。わずか三分で到着した。
山門は、駅から南東約二百メートルの緑豊かな一角に見えた。参道を登るうち、右側にある木造の小屋に気がついた。長治の墓所だった。約三メートルある白い石像は、馬に乗った長治の姿だった。「領民を救うため、自ら命を絶たれた長治公の遺徳をしのんでいる」。北川真昭住職(80)が教えてくれた。
ときは戦国時代。東播磨一帯を治める別所一族の拠点・三木に、羽柴秀吉率いる織田軍が攻め入った。激戦の末、ろう城した別所軍は兵糧の補給を絶たれ、城兵は草木で食いつないだ。戦いの幕を引くため、長治をはじめ一族が自害した。寺には亡きがらが埋葬されたと伝わる。
参道を登り切ると、本堂があった。長治をしのぶ「三木合戦絵解き」が毎年、四月十七日に営まれる。市内の教諭らが務める語り手は三十分間、掛け絵を指しながら合戦の経緯を述べる。
「三百年前に始まった行事。合戦を題材にした絵解きは、全国でも珍しいですよ」と北川住職。
幹まわりが約一メートルあるイチョウの木の脇を通ると、独特の香りが鼻をついた。そういえば、昨秋、テレビ時代劇「水戸黄門」のロケが境内であった。「ご老公を育てた人は、別所氏ゆかりの人物と伝わる」と撮影誘致に成功した地元は沸いた。
「いろんな面で長治の遺徳は永遠」と認識した。帰路の電車内で、手にする本が世に出たのが、つい最近のことのように感じられた。(長尾亮太)

★法界寺TEL0794・82・4569
【アクセス】三木鉄道「別所」駅下車。南東へ徒歩3分
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
英雄・長治が眠る森 法界寺(2007-10-22)











