2008年8月25日掲載
争う人の業見守る観音 金剛城寺
福崎町田口
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夏空と青葉に包まれるように建つ仁王門。門をくぐると、境内は広葉樹が枝を広げていた=福崎町田口、金剛城寺 |
桜並木に沿い石段を上がると、金剛城寺の重厚な仁王門が現れた。福崎町田口、七種(なぐさ)山のふもとの集落に建つ。龍(りゅう)や獅子など、意匠を凝らした門にため息がもれた。
聖徳太子の遺志を継いだ高麗(こうらい)の僧・恵灌(えかん)法師が、六三三年に開山したと伝えられる。一八六八年に現在の場所に移るまでは、同山の中腹にあったという。そばに七種滝があり、僧の読経と滝の音が絶えることはなかったのだろう。
七種山の名前の由来について「建立のころ寺にいた僧が、飢饉(ききん)に苦しむ村民に七種の穀物の種を与えたことにちなむんです」と、寺河俊禎(しゅんてい)住職(79)が教えてくれた。
山の中腹には今も、当時の山門が残る。滝へと続く道は新緑や紅葉が美しい。
歴史と風格を感じさせる本堂。ご本尊は、秘仏の十一面観音で、一般に公開されていない。「身代わり観音」とも呼ばれ、寺の巻物にいわれが記されてあった。
平安時代末期、平治の乱で同寺に逃げ込んだ源氏の侍・国弘は、観音像に助けを祈った。追っ手の平家は、国弘の右手首を切って捕らえ、牢屋(ろうや)に入れたが、翌日には消えており、木でできた手首だけが残されていた。
観音像の右手首も無くなっており、牢屋に残っていたものとぴたりと合った。国弘は山中に身を隠し、無事だったという。
言い伝えを聞きつけ、戦時中は、出征する人たちがたくさんお参りに来たらしい。戦地に向かわなければならなかった彼ら。胸中は察するに余りある。
境内のモミジが夏の風でこすれた。その音を聞きながら、本堂に向かってそっと手を合わせた。争いを繰り返す人の業を見つめ続けてきた観音さま。平成の世をどう見ておられるのだろう。(土井秀人)
聖徳太子の遺志を継いだ高麗(こうらい)の僧・恵灌(えかん)法師が、六三三年に開山したと伝えられる。一八六八年に現在の場所に移るまでは、同山の中腹にあったという。そばに七種滝があり、僧の読経と滝の音が絶えることはなかったのだろう。
七種山の名前の由来について「建立のころ寺にいた僧が、飢饉(ききん)に苦しむ村民に七種の穀物の種を与えたことにちなむんです」と、寺河俊禎(しゅんてい)住職(79)が教えてくれた。
山の中腹には今も、当時の山門が残る。滝へと続く道は新緑や紅葉が美しい。
歴史と風格を感じさせる本堂。ご本尊は、秘仏の十一面観音で、一般に公開されていない。「身代わり観音」とも呼ばれ、寺の巻物にいわれが記されてあった。
平安時代末期、平治の乱で同寺に逃げ込んだ源氏の侍・国弘は、観音像に助けを祈った。追っ手の平家は、国弘の右手首を切って捕らえ、牢屋(ろうや)に入れたが、翌日には消えており、木でできた手首だけが残されていた。
観音像の右手首も無くなっており、牢屋に残っていたものとぴたりと合った。国弘は山中に身を隠し、無事だったという。
言い伝えを聞きつけ、戦時中は、出征する人たちがたくさんお参りに来たらしい。戦地に向かわなければならなかった彼ら。胸中は察するに余りある。
境内のモミジが夏の風でこすれた。その音を聞きながら、本堂に向かってそっと手を合わせた。争いを繰り返す人の業を見つめ続けてきた観音さま。平成の世をどう見ておられるのだろう。(土井秀人)

★金剛城寺TEL0790・22・0014
【アクセス】 JR播但線福崎駅からタクシーで約5分。播但連絡道路、中国自動車道福崎インターからは車で約10分。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
争う人の業見守る観音 金剛城寺(2008-08-25)











