2008年10月13日掲載
勤王志士たちの隠れ家 東山寺
淡路市長沢
![]() |
室町時代に再建された山門=淡路市長沢 |
深い山あい。鳥のさえずりさえ聞こえぬ静けさ。俗世間とかけ離れた“空気”は百年以上前、国の行く末を案じた男たちにやすらぎを与えたのだろうか。東山寺は、新たな国づくりを目指そうと尊皇攘夷(そんのうじょうい)論をとなえ、倒幕への道を突き進む、勤王志士たちの隠れ家だったという。
梁川星巌(せいがん)、頼(らい)三樹三郎、伊藤聴秋…。「安政の大獄」で尊皇攘夷派を弾圧する大老井伊直弼(いい なおすけ)らを批判し、命からがら海を渡って、ようやくたどり着いたのがこの寺だった。志士たちは日々、倒幕を目指し密議を重ねたとされる。
黒船来航以来、淡路島の由良、岩屋は大阪湾を守る要衝となっていた。また、島を治めていた阿波藩主が、徳川十二代将軍家斉の息子を養子に迎えていたため、淡路島は幕吏の目が届きにくく、志士たちにとって安全な場所だったらしい。
本堂のそばにある庫裏。その奥の間には、志士たちが付けたと伝わる刀傷がいまも残る。障子のかもいには、刀で突き刺したり、切りつけたりしたような長さ一―四センチの傷が、十カ所以上もある。
竹内慈皓(じこう)住職(82)は「朝敵を思い起こすうちに、怒りが爆発して思わず刀を振るったのではないか」と推測。「たくさんの幕末ファンが見学に訪れる」という。
もともとは空海が八一九(弘仁十)年に建てた学問所。その後に焼失、倒壊を繰り返し、室町時代に再建されたのが現在の姿だ。歴史の重みを感じさせる山門の前。そっと目を閉じると、「国を変える」と熱く燃えた志士たちの思いが伝わってくるようだ。封建社会が崩れかけていたあの時代から、同じように社会、政治が混迷する現代へのメッセージにも思えた。
(西尾和高)
梁川星巌(せいがん)、頼(らい)三樹三郎、伊藤聴秋…。「安政の大獄」で尊皇攘夷派を弾圧する大老井伊直弼(いい なおすけ)らを批判し、命からがら海を渡って、ようやくたどり着いたのがこの寺だった。志士たちは日々、倒幕を目指し密議を重ねたとされる。
黒船来航以来、淡路島の由良、岩屋は大阪湾を守る要衝となっていた。また、島を治めていた阿波藩主が、徳川十二代将軍家斉の息子を養子に迎えていたため、淡路島は幕吏の目が届きにくく、志士たちにとって安全な場所だったらしい。
本堂のそばにある庫裏。その奥の間には、志士たちが付けたと伝わる刀傷がいまも残る。障子のかもいには、刀で突き刺したり、切りつけたりしたような長さ一―四センチの傷が、十カ所以上もある。
竹内慈皓(じこう)住職(82)は「朝敵を思い起こすうちに、怒りが爆発して思わず刀を振るったのではないか」と推測。「たくさんの幕末ファンが見学に訪れる」という。
もともとは空海が八一九(弘仁十)年に建てた学問所。その後に焼失、倒壊を繰り返し、室町時代に再建されたのが現在の姿だ。歴史の重みを感じさせる山門の前。そっと目を閉じると、「国を変える」と熱く燃えた志士たちの思いが伝わってくるようだ。封建社会が崩れかけていたあの時代から、同じように社会、政治が混迷する現代へのメッセージにも思えた。
(西尾和高)

★東山寺TEL0799・64・1185
【アクセス】
神戸淡路鳴門自動車道北淡ICから車で約20分。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
勤王志士たちの隠れ家 東山寺(2008-10-13)













