神戸新聞
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社寺巡礼

2008年2月11日掲載

家康子孫の藩主を弔う 徹心寺

神河町福本

歴代福本藩主の墓。「松平」と「池田」が混在する=神河町福本、徹心寺

歴代福本藩主の墓。「松平」と「池田」が混在する=神河町福本、徹心寺

 中播磨を南北に貫く国道312号沿いに、一関山(いっかん)徹心(てっしん)寺は堂々たる山門を構える。姫路城主・池田輝政の孫、政直が創始した福本藩。その歴代藩主の菩提(ぼだい)寺だ。昨年、県指定文化財になった立派なかやぶき屋根の本堂と山門でも知られる。

 福本藩と徹心寺のゆかりを聞こうと、郷土史に詳しく、地元で観光ガイドも務める澤田盛雄さん(80)=神河町福本=に会った。

 「石高は一万石と決して大きいとは言えませんが、藩主は徳川家康の子孫なんですよ」

 福本藩の藩祖は家康の二女督姫(とくひめ)と輝政の間に生まれた輝澄(てるずみ)。幼いころ、督姫は家康に会い、亡き母の菩提を弔うため、宗旨を輝澄に継がせたいと訴える。これが認められ、輝澄は松平姓を名乗るようになった。

 輝澄は一六六二年に亡くなる。法名は「大雲院殿一関徹心大居士(こじ)」。翌年、輝澄の長男・政直が現在の神崎郡北部などを領地として福本藩を創始し、やがて菩提寺を開いた。輝澄の法名を由来とするその寺こそが、徹心寺である。

 福本藩の藩主は代々、松平姓を名乗り、寺にある墓にも「松平」と記されているのが見える。しかし、七代喜通(よしみち)と八代徳潤(のります)の墓は、なぜか「池田」とある。

 「ちょうど喜通のころが明治維新でね。『松平』を名乗ると逆賊と思われかねない、との入れ知恵があったようです」

 歴代藩主を弔う境内の墓所を出る。見上げると、巨大なかやぶき屋根。かやぶきは“生き物”で、定期的に修復する必要があり、材料の調達も容易ではない。だが、貴重な歴史遺産として守り続けてきた。長谷川素山住職(71)は言う。

 「寺だけでなく、福本は古い歴史がある。かやぶきを守り、寺を守ることで、後世に歴史を伝える橋渡しをしたい」

 小さな藩が記した大きな足跡。かやぶきを何度も振り返りながら、寺を辞した。(安福直剛)
メモ
 ★神河町観光協会(TEL0790・32・2316)は、徹心寺をはじめ、福本藩ゆかりの地を案内する観光ガイドを受け付けている。
 ★徹心寺TEL0790・32・0161

【アクセス】播但連絡道路の神崎南ランプから車で約5分

※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。

家康子孫の藩主を弔う 徹心寺(2008-02-11)