2008年3月17日掲載
庵と庭に沢庵の面影 宗鏡寺
豊岡市出石町東條
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復元された宗鏡寺の「投淵軒」。本堂からさらに山側に、ひっそり立っている=豊岡市出石町東條 |
但馬の小京都と呼ばれる豊岡市出石町。城下町の風情が残る地域は昨年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。中心にある町のシンボル「辰鼓楼(しんころう)」から、ゆっくりと東北へ。しばらくすると、町並みから外れ、入佐山のふもとに着く。緩やかな坂の上の正面に寺の門が見えた。
1392(明徳3)年、但馬守護職だった山名氏清が菩提(ぼだい)寺として創建したと伝えられる。一時は数カ寺の塔頭(たっちゅう)寺院を持ち、山陰地方で唯一の伽藍(がらん)を誇っていたが、羽柴秀吉に攻められ、山名氏が滅んだことで荒廃した。しばらくして出石に生まれた名僧・沢庵(たくあん)和尚が、出石城主に再興を勧め、1620(元和6)年、この寺に入った。通称「沢庵寺」と呼ばれるゆえんだ。
本堂を抜け、山を登ると、沢庵和尚が暮らした草庵「投淵軒(とうえんけん)」があった。実際に住んでいた庵は、明治末期まであったという。現在のものは、1960年代後半に復元。ヒノキやスギに囲まれて今も鳥の声、山から流れる水音しか聞こえない。
沢庵和尚は48歳から8年余り、世俗を離れ、四畳半のこの庵で暮らした。多くの歌を詠み、「庵百首和歌」などの著作を残した。香の物「沢庵漬」も、この時期に工夫したものという。
南側には沢庵の作庭とされる「心字の池」。山からの水が「心」をかたどった池に注ぐ。
「春にはモリアオガエルが卵を産みに来るんです。秋にはモミジの小さい葉が色づいてきれいですよ」と檀家の一人、秋庭ふさゑさん(79)。沢庵和尚も、四季折々に変化する庭を楽しんでいたのだろうか。もう一つの庭「本堂書院庭園」は県指定の文化財。
同寺には約3年間、住職がいなかった。2月中旬に就いた小原游堂住職(29)は「来られた人は、沢庵和尚の時代も思い起こして、ゆっくりとした時を過ごしてほしい」と話していた。 (宮下裕史)
1392(明徳3)年、但馬守護職だった山名氏清が菩提(ぼだい)寺として創建したと伝えられる。一時は数カ寺の塔頭(たっちゅう)寺院を持ち、山陰地方で唯一の伽藍(がらん)を誇っていたが、羽柴秀吉に攻められ、山名氏が滅んだことで荒廃した。しばらくして出石に生まれた名僧・沢庵(たくあん)和尚が、出石城主に再興を勧め、1620(元和6)年、この寺に入った。通称「沢庵寺」と呼ばれるゆえんだ。
本堂を抜け、山を登ると、沢庵和尚が暮らした草庵「投淵軒(とうえんけん)」があった。実際に住んでいた庵は、明治末期まであったという。現在のものは、1960年代後半に復元。ヒノキやスギに囲まれて今も鳥の声、山から流れる水音しか聞こえない。
沢庵和尚は48歳から8年余り、世俗を離れ、四畳半のこの庵で暮らした。多くの歌を詠み、「庵百首和歌」などの著作を残した。香の物「沢庵漬」も、この時期に工夫したものという。
南側には沢庵の作庭とされる「心字の池」。山からの水が「心」をかたどった池に注ぐ。
「春にはモリアオガエルが卵を産みに来るんです。秋にはモミジの小さい葉が色づいてきれいですよ」と檀家の一人、秋庭ふさゑさん(79)。沢庵和尚も、四季折々に変化する庭を楽しんでいたのだろうか。もう一つの庭「本堂書院庭園」は県指定の文化財。
同寺には約3年間、住職がいなかった。2月中旬に就いた小原游堂住職(29)は「来られた人は、沢庵和尚の時代も思い起こして、ゆっくりとした時を過ごしてほしい」と話していた。 (宮下裕史)

★沢庵和尚の命日は12月11日。前後に檀家らが集まり、法要を営む。今年の実施日は未定。
★宗鏡寺TEL0796・52・2333
【アクセス】JR山陰本線豊岡・八鹿・江原の各駅から全但バス出石行きで終点下車。徒歩約7分。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
庵と庭に沢庵の面影 宗鏡寺(2008-03-17)











