2008年3月31日掲載
嘉兵衛支えた弟の思い 都志八幡神社
洲本市五色町都志大宮
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嘉兵衛の無事帰国を願った願文。兄同様に日露両国の平和を願った弟たちの思いを知ることができる=洲本市五色町都志大宮 |
民家の間の細い路地を抜けると、漆黒の雄大な門が現れた。門の右側に掲げられているのが、ゴローニン事件でロシアに抑留された高田屋嘉兵衛の無事帰国を祈った願文だ。
願文は1813年、ロシア船に捕らえられた嘉兵衛の身を案じた弟の嘉蔵らが神社に奉納した。嘉兵衛の無事帰国がかない、嘉蔵らは1818年に「随身門」と呼ばれる神門を建立、寄進した。門の願文は当時のものではなく写しだが、弟たちが兄の無事を必死に願う姿がしのばれる。
1814年、嘉兵衛はふるさとへ帰郷する。港には、全国各地に散らばる高田屋の船が一堂に集まった。旗を掲げて500人の船員が神社まで参拝の列を作ったという。
高田屋の結束の強さを表すエピソードだが、願文を見るとさらに驚く。嘉蔵らは、嘉兵衛の無事帰国だけでなく、日本によって捕らえられたロシア人の無事帰国までも祈願していた。
人質の身でありながら、ロシア側とねばり強く交渉し、両者の解放を勝ち取った嘉兵衛。航海長として兄と行動を共にしてきた弟の嘉蔵だからこそ、嘉兵衛とは以心伝心だったのか。兄を連れ去ったロシアに憎しみを持つことなく、両国の平和を願う嘉蔵の気持ちを思うと、頭が下がる思いだ。
嘉蔵は全国各地の神社にも同様の願文を送ったという。高田屋顕彰館・歴史文化資料館の斉藤智之学芸員は「兄同様にヒューマニズムにあふれた文章。嘉兵衛は抑留先でロシア人に、弟たちが願文をかけてくれたことをうれしそうに話したらしい」と語ってくれた。
神社の由緒は古く、1270年には源義嗣が大般若経六百巻を奉納したと伝えられる。
ひっそりとたたずむ境内。来年は嘉兵衛の生誕240年。日露両国の架け橋となった嘉兵衛の足跡とともに、嘉兵衛を支えた弟たちの思いを知った。 (高森 亮)
願文は1813年、ロシア船に捕らえられた嘉兵衛の身を案じた弟の嘉蔵らが神社に奉納した。嘉兵衛の無事帰国がかない、嘉蔵らは1818年に「随身門」と呼ばれる神門を建立、寄進した。門の願文は当時のものではなく写しだが、弟たちが兄の無事を必死に願う姿がしのばれる。
1814年、嘉兵衛はふるさとへ帰郷する。港には、全国各地に散らばる高田屋の船が一堂に集まった。旗を掲げて500人の船員が神社まで参拝の列を作ったという。
高田屋の結束の強さを表すエピソードだが、願文を見るとさらに驚く。嘉蔵らは、嘉兵衛の無事帰国だけでなく、日本によって捕らえられたロシア人の無事帰国までも祈願していた。
人質の身でありながら、ロシア側とねばり強く交渉し、両者の解放を勝ち取った嘉兵衛。航海長として兄と行動を共にしてきた弟の嘉蔵だからこそ、嘉兵衛とは以心伝心だったのか。兄を連れ去ったロシアに憎しみを持つことなく、両国の平和を願う嘉蔵の気持ちを思うと、頭が下がる思いだ。
嘉蔵は全国各地の神社にも同様の願文を送ったという。高田屋顕彰館・歴史文化資料館の斉藤智之学芸員は「兄同様にヒューマニズムにあふれた文章。嘉兵衛は抑留先でロシア人に、弟たちが願文をかけてくれたことをうれしそうに話したらしい」と語ってくれた。
神社の由緒は古く、1270年には源義嗣が大般若経六百巻を奉納したと伝えられる。
ひっそりとたたずむ境内。来年は嘉兵衛の生誕240年。日露両国の架け橋となった嘉兵衛の足跡とともに、嘉兵衛を支えた弟たちの思いを知った。 (高森 亮)

★都志八幡神社TEL0799・33・0422
【アクセス】高速バス「高田屋嘉兵衛公園」から約2キロ
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
嘉兵衛支えた弟の思い 都志八幡神社(2008-03-31)











