2008年9月15日掲載
先祖供養の新風習生む 光明寺
加東市光明寺
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秋には紅葉で美しく染まる光明寺境内=加東市光明寺 |
奇岩巨岩が隆起する加古川の名勝・闘竜灘から西を見上げると、標高二五八メートルの五峰山が眼前に迫る。「ひょうご森林浴場五十選」にも選ばれた連山だ。その山頂近く、播磨平野を一望する絶景の場所に、光明寺は堂々たる伽藍(がらん)を構えている。
木立に包まれた参道に、塔頭(たっちゅう)四寺院の白壁や深紅の仁王門が映える。晴天の昼下がり、静寂に包まれた“播磨高野”に足を踏み入れた。
寺伝は六五一(白雉二)年、インド僧法道仙人が創建したと伝える。足利尊氏と弟直義が争った「観応の擾(じょう)乱」で、激戦だった光明寺合戦(一三五一年)の舞台として知られるが、この寺にはもう一つの魅力がある。塔頭・花蔵院の梅谷快洋住職と遍照院の後藤友栄住職が教えてくれた。
かつて釈迦(しゃか)の誕生日(旧暦四月八日)を祝う「花祭り」には、播磨一円の人々が列をなして光明寺を参拝したという。四十九日を迎えた新仏を供養する「花はじめ」が同時に営まれたためだ。
七、八十年前に始まったらしく、昭和四十年代には他寺でも営まれるようになって光明寺の参拝は激減したが、播磨特有の風習として、今も各地に根付いている。
「遠くは姫路や高砂、それに多可…。播州鉄道(現JR加古川線)は臨時列車を出すほどで、それはにぎやかだったそうです」と二人の住職。
伝統を重んじる仏教界にあって、新しい形の供養が定着した理由を、後藤住職は「信仰にあつく、先祖を大切に思う精神性が強かったのでしょう。供養の機会が多いのはええこっちゃ、と」と話す。
先進性と人情深さが同居する播磨人気質だそうだ。往事のにぎわいを思いながら、人々の踏みしめた参道を静かに下った。
(山岸洋介)
木立に包まれた参道に、塔頭(たっちゅう)四寺院の白壁や深紅の仁王門が映える。晴天の昼下がり、静寂に包まれた“播磨高野”に足を踏み入れた。
寺伝は六五一(白雉二)年、インド僧法道仙人が創建したと伝える。足利尊氏と弟直義が争った「観応の擾(じょう)乱」で、激戦だった光明寺合戦(一三五一年)の舞台として知られるが、この寺にはもう一つの魅力がある。塔頭・花蔵院の梅谷快洋住職と遍照院の後藤友栄住職が教えてくれた。
かつて釈迦(しゃか)の誕生日(旧暦四月八日)を祝う「花祭り」には、播磨一円の人々が列をなして光明寺を参拝したという。四十九日を迎えた新仏を供養する「花はじめ」が同時に営まれたためだ。
七、八十年前に始まったらしく、昭和四十年代には他寺でも営まれるようになって光明寺の参拝は激減したが、播磨特有の風習として、今も各地に根付いている。
「遠くは姫路や高砂、それに多可…。播州鉄道(現JR加古川線)は臨時列車を出すほどで、それはにぎやかだったそうです」と二人の住職。
伝統を重んじる仏教界にあって、新しい形の供養が定着した理由を、後藤住職は「信仰にあつく、先祖を大切に思う精神性が強かったのでしょう。供養の機会が多いのはええこっちゃ、と」と話す。
先進性と人情深さが同居する播磨人気質だそうだ。往事のにぎわいを思いながら、人々の踏みしめた参道を静かに下った。
(山岸洋介)

★拝観無料。9―17時。花蔵院TEL0795・48・2049
【アクセス】 JR加古川線滝野駅から車で3分。本堂までは坂道を300メートル歩く。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
先祖供養の新風習生む 光明寺(2008-09-15)











