2008年10月6日掲載
光源氏のわび住まい 現光寺
神戸市須磨区須磨寺町
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源氏物語の場面を描いたふすまを開くと、「六鳥」の舞う壁画が見える=神戸市須磨区須磨寺町1
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駅に近く、街の中にあるのに、境内は不思議なほど静かだ。「光源氏のわび住まい」との言い伝えが、なるほどと思えてくる。
「源氏物語」で、主人公の光源氏が京の都から寺の前身であるお堂に移り住んでいた、とされる。「源氏寺」とも呼ばれていた。
一七七七年に建立された本堂は、阪神・淡路大震災で倒壊した。「鉄筋コンクリートだと百年ももたないが、以前の本堂がそうであったように、木造なら三百年以上もつ」と片岡御冬(みふゆ)住職(73)。二〇〇二年には、ヒノキ造りの本堂が完成した。
まだ新しい本堂に入ると、華やかな平安絵巻の世界が広がる。十九枚のふすま絵には、須磨で月を眺めて都に思いをはせる光源氏が描かれ、天井画には十数種類の花が咲き乱れる。極楽で舞うというクジャク、オウムなど「六鳥」がはばたく壁画は、京都の絵師が一カ月かけて描いた。「新しい伝統をつくり出したかったんです」。片岡住職が腕利きの職人を探して依頼したという。
今年は源氏物語千年紀。ゆかりの場所で数々のイベントが企画されているが、寺でも今月初め、箏曲や舞踊で物語の世界を表現する催しがあった。片岡住職は「わび住まいの場所だが、きらびやかな物語の世界も味わってほしい」と願う。
境内には、「須磨の月」にあこがれて訪れた松尾芭蕉の句碑「見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋」がある。結核を患い、須磨で療養していた正岡子規の句も、石碑に刻まれている。
失意の中にあった光の君。漂泊の旅人、芭蕉。そして、病と闘い続けた子規。満ち欠けする月のような彼らの心を、須磨の地は大きく包んだに違いない。
(金 慶順)
「源氏物語」で、主人公の光源氏が京の都から寺の前身であるお堂に移り住んでいた、とされる。「源氏寺」とも呼ばれていた。
一七七七年に建立された本堂は、阪神・淡路大震災で倒壊した。「鉄筋コンクリートだと百年ももたないが、以前の本堂がそうであったように、木造なら三百年以上もつ」と片岡御冬(みふゆ)住職(73)。二〇〇二年には、ヒノキ造りの本堂が完成した。
まだ新しい本堂に入ると、華やかな平安絵巻の世界が広がる。十九枚のふすま絵には、須磨で月を眺めて都に思いをはせる光源氏が描かれ、天井画には十数種類の花が咲き乱れる。極楽で舞うというクジャク、オウムなど「六鳥」がはばたく壁画は、京都の絵師が一カ月かけて描いた。「新しい伝統をつくり出したかったんです」。片岡住職が腕利きの職人を探して依頼したという。
今年は源氏物語千年紀。ゆかりの場所で数々のイベントが企画されているが、寺でも今月初め、箏曲や舞踊で物語の世界を表現する催しがあった。片岡住職は「わび住まいの場所だが、きらびやかな物語の世界も味わってほしい」と願う。
境内には、「須磨の月」にあこがれて訪れた松尾芭蕉の句碑「見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋」がある。結核を患い、須磨で療養していた正岡子規の句も、石碑に刻まれている。
失意の中にあった光の君。漂泊の旅人、芭蕉。そして、病と闘い続けた子規。満ち欠けする月のような彼らの心を、須磨の地は大きく包んだに違いない。
(金 慶順)

★現光寺TEL078・731・9090
【アクセス】 山陽電鉄須磨寺駅から西へ徒歩約5分。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
光源氏のわび住まい 現光寺(2008-10-06)











