神戸新聞
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社寺巡礼

2009年1月26日掲載

徳川幕府の軍事拠点か 無量光寺

明石市大観町

武家屋敷を思わせる総けやき造りの山門。戦火から唯一免れた=明石市大観町

武家屋敷を思わせる総けやき造りの山門。戦火から唯一免れた=明石市大観町

 バス道から脇にそれる細い参道の突き当たりに名工・左甚五郎作と伝わる総けやき造りの山門が現れる。空襲で辺り一帯は焼け野原と化したが、山門は唯一戦火を免れた。

 歴史書などでは一六一三年もしくは一六四四―四八年、海岸浸食を理由に浜に面した江井島から約十キロ離れた明石城の南西に位置する寺町に移転したと伝えられる。「しかし実際の移転はもっと前。移転を命ぜられた琳誉益公(りんにょやくこう)上人の足跡をたどると歴史の裏側が見える」と小川龍蔵住職(67)。

 関ケ原の戦い(一六〇〇年)直後、幕府は仏教寺院を統制する諸宗寺院法度を発布。琳誉上人は一六〇四年、京都・空也寺から明石に入り、大坂冬の陣(一四年)の前年には役目を終えて戻っている。

 本堂は、日本書紀にも登場する男(お)狭(さ)磯(し)の墓の前に建立され、明石最古の寺とされる善楽寺にも隣接。小川住職は「本来なら新たな寺の建設はあり得ない場所」と指摘し、擁護する浄土宗の寺を利用した徳川側の戦略的意図を読み取る。初代明石城主小笠原忠政の入城は一七年。「それ以前から、寺を事実上の軍事拠点として整備していたのでは」。確かに山門には、武家屋敷さながら段差が見当たらない。馬に乗った武者が駆け抜けるためとの解釈を披露する。

 風雲漂う歴史的背景の一方で、もう一つ語り継がれているのが、源氏物語の主人公、光源氏が月見をしたとの伝説。小川住職によると、このエピソードは「文学好きで知られる明石藩主松平忠国による虚構。物語にちなんでつくらせた“遺跡”が集まるテーマパーク」と一笑に付す。

 例えば山門すぐ横の源氏稲荷(いなり)。恋の成就を願いこっそり参拝する人が絶えない。「光源氏みたいな女たらしでもいいのでしょうかねえ」。再び笑った。(大月美佳)
メモ
 ★明石西国第二番観音霊場。本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)は陶芸家の先代住職の作。武者小路実篤、有島武郎ら文化人が多く訪れた。
 ★無量光寺 TEL078・912・8839

【アクセス】 明石駅から南西へ徒歩約20分、山電西新町駅から徒歩約8分。

※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。

徳川幕府の軍事拠点か 無量光寺(2009-01-26)