神戸新聞
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社寺巡礼

2009年2月2日掲載

師慕い、求道の田ステ女 不徹寺

姫路市網干区浜田

ステ女が求めた穏やかな時間が流れる境内=姫路市網干区浜田

ステ女が求めた穏やかな時間が流れる境内=姫路市網干区浜田

 北は住宅街、南は工場地帯。周囲の喧噪(けんそう)をよそに、境内は禅寺らしい静寂に包まれていた。風雪に耐えた杉、青々としたコケ、昼寝する野良猫。心和ます光景には、一人の女性の願いが込められている。

 開基は、元禄四俳女の一人、田(でん)ステ女(じょ)(一六三三―九八年)。同寺の建立を心待ちにしたが、完成のわずか二年前に亡くなった。竹内祖建(そけん)住職(69)は「うれしそうに建設計画を話す姿が目に浮かびます。残念だったでしょうね」と優しく笑った。

 ステ女は、寛永十(一六三三)年、丹波国柏原の名家の生まれ。「雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡」。わずか六歳の発句は、有名な一句だ。幼くして母、祖母を失ったが、義母の子と結ばれ、幸せな日々を送った。四十二歳で夫を亡くし、幸福は悲嘆に変わった。三年間、喪に服したが、悲しみは癒えず、平安を求め仏門に入り上京した。

 ひたむきな求道精神が通じたのか、播州網干出身の高僧・盤珪(ばんけい)和尚と運命的に出会う。和尚は、全国を行脚して独自の教え「不生禅(ふしょうぜん)」を説き、民衆から大名まで幅広く支持された。ステ女も和尚に師事し、網干の龍門寺へと移り住み、修行の日々を送った。

 「師弟の間にどんな時間が流れていたんでしょうか」。竹内住職は、和尚の法話をステ女が書き写した古文書を広げた。一言一句逃すまいとしながらも流麗な字でつづられた書から、繊細さと師を慕う思いが伝わってくる。

 本堂には、ステ女が書いた歌の軸が掛かる。

 「いきながら 死して世にふる 人をこそ ふ生ふめつの 仏とぞいふ」

 世の無常に流されながら求め続けた穏やかな心境。ステ女は、終焉(えん)の地でそれを見つけたのだろう。
(安田英樹)
メモ
 ★本堂は、一度焼失し再建された。「座禅堂」が、建立当時の様子を今に伝える。毎月最後の日曜日に座禅体験会が開かれる(千円)。写経体験などもできる。同寺TEL079・272・0823

 【アクセス】 姫路市網干区浜田632。山陽電鉄網干駅から徒歩約20分。

※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。

師慕い、求道の田ステ女 不徹寺(2009-02-02)