2009年2月23日掲載
「星の信仰」連綿に 日光院
養父市八鹿町
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境内にそびえる巨木に囲まれた護摩堂。周囲の緑にもとけ込み、歴史を感じさせる=養父市八鹿町石原 |
養父市八鹿町の市街地から、「妙見(みょうけん)杉」で有名な妙見山方面へ車を走らせる。小さな集落を抜け、くねくねと曲がる道をしばらく行くと「妙見さん」の愛称で親しまれる日光院の山門が見えてくる。
まだ雪が残る境内に足を踏み入れた。まず視界に入るのは、空に向かって高くそびえるイチョウやケヤキの巨木。思わず見上げてしまう。奥には本堂と護摩堂がひっそりと立つ。周辺の深い緑と相まって、神聖な雰囲気を漂わせる。
本尊は真言密教の妙見大菩薩(だいぼさつ)。人の運命を左右する自然の流れは、天体にいる仏がつかさどるとするインド発祥の教典にルーツがある。妙見大菩薩の象徴は北斗七星で、同院の寺紋も七つの丸を並べて北斗七星を表現した「七曜紋(しちようもん)」だ。
約千四百年前、日光慶重(けいちょう)という道士がこの地を訪れ、妙見信仰の拠点を創建したという。副住職の森田龍親(りゅうしん)さん(40)は「空が近くて、星もきれい。信仰の場として最適だったのでしょう」と話す。なるほど、空気は澄み、人工の光も少ない。道士がこの場所を選んだのもうなずける。
但馬だけでなく、山陰や中国地方における妙見信仰の本山として隆盛を極めたが、その間いくつもの危機をくぐり抜けてきた。
天正年間には羽柴秀吉の山陰攻めの影響を受け、一部を残して焼失。明治維新後の廃仏棄釈では、寺から本尊が追放される事態に。住職らが身を寄せた末寺が現在の日光院で、元の本殿は、妙見山頂に近い今の名草神社だったという。同神社の社殿には、今でも「七曜紋」が残されている。
歴代の住職や、多くの信者によって守られてきた妙見信仰。本尊は住職しか見ることができない秘仏として、本堂の中に鎮座する。仏の姿を拝めないのは残念な気もするが、一度夜に訪れて空を見上げてみたい。先人が守ってきた信仰の象徴と出合えるはずだから。
(原田大介)
まだ雪が残る境内に足を踏み入れた。まず視界に入るのは、空に向かって高くそびえるイチョウやケヤキの巨木。思わず見上げてしまう。奥には本堂と護摩堂がひっそりと立つ。周辺の深い緑と相まって、神聖な雰囲気を漂わせる。
本尊は真言密教の妙見大菩薩(だいぼさつ)。人の運命を左右する自然の流れは、天体にいる仏がつかさどるとするインド発祥の教典にルーツがある。妙見大菩薩の象徴は北斗七星で、同院の寺紋も七つの丸を並べて北斗七星を表現した「七曜紋(しちようもん)」だ。
約千四百年前、日光慶重(けいちょう)という道士がこの地を訪れ、妙見信仰の拠点を創建したという。副住職の森田龍親(りゅうしん)さん(40)は「空が近くて、星もきれい。信仰の場として最適だったのでしょう」と話す。なるほど、空気は澄み、人工の光も少ない。道士がこの場所を選んだのもうなずける。
但馬だけでなく、山陰や中国地方における妙見信仰の本山として隆盛を極めたが、その間いくつもの危機をくぐり抜けてきた。
天正年間には羽柴秀吉の山陰攻めの影響を受け、一部を残して焼失。明治維新後の廃仏棄釈では、寺から本尊が追放される事態に。住職らが身を寄せた末寺が現在の日光院で、元の本殿は、妙見山頂に近い今の名草神社だったという。同神社の社殿には、今でも「七曜紋」が残されている。
歴代の住職や、多くの信者によって守られてきた妙見信仰。本尊は住職しか見ることができない秘仏として、本堂の中に鎮座する。仏の姿を拝めないのは残念な気もするが、一度夜に訪れて空を見上げてみたい。先人が守ってきた信仰の象徴と出合えるはずだから。
(原田大介)

★日光院TEL079・662・2817
アクセス JR八鹿駅からバスで約20分。「石原」下車徒歩5分。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
「星の信仰」連綿に 日光院(2009-02-23)











