2009年6月11日掲載
地元に親しまれる一宮 出石神社
豊岡市出石町宮内
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緑に囲まれ、落ち着いたたたずまいを見せる境内=豊岡市出石町宮内、出石神社 |
豊岡市中心部から出石川沿いに南東へ、半時間ほど車を走らせる。田植えを終えたばかりの水田の間を進み、集落に入ると、優に15メートルはありそうな杉の木が数本立っていた。すぐ近くに来ているはずだが、鳥居は見えない。神社の全体像は正面に回らないとうかがえないようだ。車を降りて少し歩くと、ようやく鳥居が姿を現した。
現在の社殿は、明治末に民家から出た火が燃え移り、焼失した後の1914(大正3)年に再建された。古事記や日本書紀にも登場する神社だが、創建された年代は分かっていないという。
粟鹿(あわが)神社(朝来市山東町)や養父(やぶ)神社(養父市養父市場)などとともに「但馬五社」の一つで、その中でも最も格式が高い「但馬の国一宮(いちのみやみや)」。地元では「いっきゅうさん」と呼ぶ。
新羅の王子で但馬開発の祖神の一人とされる天日槍命(あめのひぼこのみこと)が持ってきたという8種の神宝を「伊豆志八前大神(いずしやまえのおおかみ)」として祭る。天日槍命自身も御祭神とされる。天日槍命は、泥海だった但馬地方を円山川河口にあった岩山を開くことで濁流を日本海に流し、現在の豊岡盆地をつくったという伝説が残る。
境内に、足を踏み入れられない約300坪の「禁足地」がある。天日槍命の墓があるという説や、かつて神社の建物があったという説があるが、おきてを破れば、たたりがあるとされ、立ち入ろうとする人はいない。
最近は全国の一宮巡りが盛んで、遠くからも多くの参拝客が訪れる。「遠来の人から地元の人まで、多くの方に愛されているんですよ」と長尾家典宮司(44)。
散歩だろうか、普段着で参拝する住民を何人か見た。格式を誇る一方で、地元に親しまれている「いっきゅうさん」である。
(初鹿野俊)
現在の社殿は、明治末に民家から出た火が燃え移り、焼失した後の1914(大正3)年に再建された。古事記や日本書紀にも登場する神社だが、創建された年代は分かっていないという。
粟鹿(あわが)神社(朝来市山東町)や養父(やぶ)神社(養父市養父市場)などとともに「但馬五社」の一つで、その中でも最も格式が高い「但馬の国一宮(いちのみやみや)」。地元では「いっきゅうさん」と呼ぶ。
新羅の王子で但馬開発の祖神の一人とされる天日槍命(あめのひぼこのみこと)が持ってきたという8種の神宝を「伊豆志八前大神(いずしやまえのおおかみ)」として祭る。天日槍命自身も御祭神とされる。天日槍命は、泥海だった但馬地方を円山川河口にあった岩山を開くことで濁流を日本海に流し、現在の豊岡盆地をつくったという伝説が残る。
境内に、足を踏み入れられない約300坪の「禁足地」がある。天日槍命の墓があるという説や、かつて神社の建物があったという説があるが、おきてを破れば、たたりがあるとされ、立ち入ろうとする人はいない。
最近は全国の一宮巡りが盛んで、遠くからも多くの参拝客が訪れる。「遠来の人から地元の人まで、多くの方に愛されているんですよ」と長尾家典宮司(44)。
散歩だろうか、普段着で参拝する住民を何人か見た。格式を誇る一方で、地元に親しまれている「いっきゅうさん」である。
(初鹿野俊)

<アクセス> JR豊岡駅からバスで約25分。「鳥居」下車徒歩10分。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
地元に親しまれる一宮 出石神社(2009-06-11)











