2009年6月18日掲載
人々見守る各地の九神 大宮八幡宮
三木市本町2
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拝殿前には、堂々たる神木杉がそびえる=三木市本町2 |
霧雨に煙る石段を、滑らないよう、一歩一歩慎重に歩を進める。傾斜21度、85段。播州三大祭りの一つとうたわれる秋祭り(例大祭)で、氏子の男らが、転落の危険を物ともせず、屋台を担いで勇壮に練り歩く参道だ。
上り切り、鳥居をくぐると、1万坪以上もある境内が目の前に広がる。明治初期には、なんと7万坪もあったという。普段は、静寂に包まれているこの地にたたずむと、つかのま、時の流れが止まったように感じた。
創建年は不詳。1580(天正8)年、三木城主別所長治と羽柴秀吉が戦った三木合戦で、社殿は戦火に見舞われ、神社の歴史を伝える資料はことごとくが焼失してしまった。
合戦後、秀吉が当時の三木城代に命じて社殿を再建させ、完成した1583年9月13日が、例大祭の起源と伝えられる。
畑中貴雄宮司(67)によると、主祭神の応神天皇を含め、九神を祭る八幡宮は全国でも珍しいという。天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)(伊勢大神)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)(祗園大神)、中筒之男神(なかつつのおのみこと)(住吉大神)など国内各地の神々が祭られているのが特徴だが、その理由については定かでない。
畑中宮司は「三木が、西の出雲系と東の伊勢系が交わる地点であることに関連があるのでは」と話す。また、明治の廃仏棄釈まで続いた月輪寺(三木市本町)との神仏習合も、祭神の多様性を高めたのでは、とみる。
社殿を焼き尽くした三木合戦の戦火を免れ、現在に至るまで、立派にその姿を残すものがある。樹齢500年以上とされる1本の神木杉だ。別所氏の時代から、東播磨の人々を見守ってきた大木に、思いをはせつつ、再び急な石段を踏みしめた。 (藤森恵一郎)
上り切り、鳥居をくぐると、1万坪以上もある境内が目の前に広がる。明治初期には、なんと7万坪もあったという。普段は、静寂に包まれているこの地にたたずむと、つかのま、時の流れが止まったように感じた。
創建年は不詳。1580(天正8)年、三木城主別所長治と羽柴秀吉が戦った三木合戦で、社殿は戦火に見舞われ、神社の歴史を伝える資料はことごとくが焼失してしまった。
合戦後、秀吉が当時の三木城代に命じて社殿を再建させ、完成した1583年9月13日が、例大祭の起源と伝えられる。
畑中貴雄宮司(67)によると、主祭神の応神天皇を含め、九神を祭る八幡宮は全国でも珍しいという。天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)(伊勢大神)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)(祗園大神)、中筒之男神(なかつつのおのみこと)(住吉大神)など国内各地の神々が祭られているのが特徴だが、その理由については定かでない。
畑中宮司は「三木が、西の出雲系と東の伊勢系が交わる地点であることに関連があるのでは」と話す。また、明治の廃仏棄釈まで続いた月輪寺(三木市本町)との神仏習合も、祭神の多様性を高めたのでは、とみる。
社殿を焼き尽くした三木合戦の戦火を免れ、現在に至るまで、立派にその姿を残すものがある。樹齢500年以上とされる1本の神木杉だ。別所氏の時代から、東播磨の人々を見守ってきた大木に、思いをはせつつ、再び急な石段を踏みしめた。 (藤森恵一郎)

<アクセス> 神戸電鉄三木駅下車、南東へ徒歩約6分。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
人々見守る各地の九神 大宮八幡宮(2009-06-18)











