2009年6月25日掲載
住民、企業と共に歩む 別府住吉神社
加古川市別府町
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樹齢約100年の3代目・手枕の松。見事な枝ぶりが目を引く=加古川市別府町東町 |
播磨灘に面した加古川市の南東部。多くの漁船が停泊する別府川の河口付近を歩いていると、大きな石造りの鳥居が姿を現す。漁業や航海の安全を守る別府住吉神社だ。
境内に入ると、左手に3代目の「手枕(たまくら)の松」。地面に対して斜めに伸びた幹と、下から支えるようなL字形の枝。人がひじ枕をしているように見えることから、江戸時代に地元出身の俳人滝瓢水(たきひょうすい)が名付けたとされる。
神社のすぐ南の海岸線は、今は埋め立てられて製鉄所となったが、かつては遠浅の砂浜が続いていた。手枕の松は、西隣の高砂市まで海岸沿いの名松を見て歩く「播州松めぐり」の東端の出発点に当たる。
神社の創建時期は、江戸時代の地誌「播磨鑑(かがみ)」にも不明とある。ただ、境内の古い灯ろうには貞享5(1688)年の記録が残る。
本殿は、江戸時代の築造とみられる建物が長く残っていたが、1965年の台風で檜皮(ひわだ)ぶきの屋根に穴が開くなどの被害を受けた。長く応急処置でしのぎ、2002年に建て替えたが、傷みがひどく、建設時期などの記録は見つからなかった。
立派な鳥居や灯ろうが並ぶが、特に驚くのが敷地の隅にある「肥料王」と書かれた高さ4・6メートルの石製の台座。肥料メーカー多木化学の創業者で、日本初の人造肥料を造った多木久米次郎の功績をたたえたものだ。
1936年に全国の有志が建立。当初は、上に久米次郎の巨大な銅像があったが、第2次世界大戦で武器製造のために供出されたという。
宮司の好崎泰州さん(54)は「多木家は非常に信仰心が深かったようだ。石造りの鳥居や石灯ろうなどを寄進してもらっている」と話す。
現在、周辺には多木化学のほか、多くの企業があり、本殿再建にも寄付が集まった。地域の信仰を大切にする事業家久米次郎の思いは受け継がれている。
(松井 元)
境内に入ると、左手に3代目の「手枕(たまくら)の松」。地面に対して斜めに伸びた幹と、下から支えるようなL字形の枝。人がひじ枕をしているように見えることから、江戸時代に地元出身の俳人滝瓢水(たきひょうすい)が名付けたとされる。
神社のすぐ南の海岸線は、今は埋め立てられて製鉄所となったが、かつては遠浅の砂浜が続いていた。手枕の松は、西隣の高砂市まで海岸沿いの名松を見て歩く「播州松めぐり」の東端の出発点に当たる。
神社の創建時期は、江戸時代の地誌「播磨鑑(かがみ)」にも不明とある。ただ、境内の古い灯ろうには貞享5(1688)年の記録が残る。
本殿は、江戸時代の築造とみられる建物が長く残っていたが、1965年の台風で檜皮(ひわだ)ぶきの屋根に穴が開くなどの被害を受けた。長く応急処置でしのぎ、2002年に建て替えたが、傷みがひどく、建設時期などの記録は見つからなかった。
立派な鳥居や灯ろうが並ぶが、特に驚くのが敷地の隅にある「肥料王」と書かれた高さ4・6メートルの石製の台座。肥料メーカー多木化学の創業者で、日本初の人造肥料を造った多木久米次郎の功績をたたえたものだ。
1936年に全国の有志が建立。当初は、上に久米次郎の巨大な銅像があったが、第2次世界大戦で武器製造のために供出されたという。
宮司の好崎泰州さん(54)は「多木家は非常に信仰心が深かったようだ。石造りの鳥居や石灯ろうなどを寄進してもらっている」と話す。
現在、周辺には多木化学のほか、多くの企業があり、本殿再建にも寄付が集まった。地域の信仰を大切にする事業家久米次郎の思いは受け継がれている。
(松井 元)

<アクセス> 山陽電鉄別府駅から徒歩10分
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
住民、企業と共に歩む 別府住吉神社(2009-06-25)











