2009年7月16日掲載
地域文化伝える“舞台” 高家寺
明石市太寺2
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市民らの交流の場となっている高家寺の本堂。震災による損傷も修復を終えた=明石市太寺2 |
三味線の音色と歌声が、本堂に響き渡った。鼓舞されるように、和服姿の高校生が舞う。この夏、地唄舞「大和流」の名取試験が初めて執り行われ、厳粛な場面が市民に初公開された。家元の大和松蒔さんは「和の心が伝わる格好の舞台」と、その様子に目を細めた。
正式名、太寺山高家寺。本堂は元和年間(1615〜24年)、明石城主・小笠原忠政によって建立され、明石市内の寺では最古という。建物を支える丸柱には「寛文二年二月 壬寅(みずのえとら)」の文字が残る。約350年前に書かれた人のぬくもり。境内にある太寺廃寺塔跡、本尊の薬師如来坐像に続いて今年3月、県重要有形文化財に指定された。
「これら貴重な文化財は、寺だけのものではなく地域の財産。多くの人に身近に感じてほしい」と井藤圭湍(けいずい)名誉住職(64)。寺が催す行事は檀家に限らず、市民に広く門戸を開く。例えば1977(昭和52)年から毎月1回開く「写経と法話の会」は337回を迎える。
異色なのが「高家寺寄席」。90年1月から始まり、世話役に露の団六さんらが名を連ねる。年に3回催し、97年3月以降は敷地内の太寺保育園に会場を移した。毎回、100人を超す市民らで埋まり、初舞台をここで踏む若手噺家(はなしか)もいる。
帰り際、ふと目が留まったのがすり減って丸くなった本堂の敷居。数多くの人々がこの敷居をまたぎ、伝統芸能や文化と心を通わせたのだろう。井藤名誉住職は「身近なところに歴史あるお堂がある。それをどう多くの人に親しんでもらうか。ライフワークにしていきたい」と語る。
話を戻す。冒頭の名取試験に臨んだ高校生ら3人は見事合格。「一流の舞台、先生に会えたおかげ」と笑顔を浮かべ、文化の殿堂でもある堂内を見渡した。
(平岡雅彰)
正式名、太寺山高家寺。本堂は元和年間(1615〜24年)、明石城主・小笠原忠政によって建立され、明石市内の寺では最古という。建物を支える丸柱には「寛文二年二月 壬寅(みずのえとら)」の文字が残る。約350年前に書かれた人のぬくもり。境内にある太寺廃寺塔跡、本尊の薬師如来坐像に続いて今年3月、県重要有形文化財に指定された。
「これら貴重な文化財は、寺だけのものではなく地域の財産。多くの人に身近に感じてほしい」と井藤圭湍(けいずい)名誉住職(64)。寺が催す行事は檀家に限らず、市民に広く門戸を開く。例えば1977(昭和52)年から毎月1回開く「写経と法話の会」は337回を迎える。
異色なのが「高家寺寄席」。90年1月から始まり、世話役に露の団六さんらが名を連ねる。年に3回催し、97年3月以降は敷地内の太寺保育園に会場を移した。毎回、100人を超す市民らで埋まり、初舞台をここで踏む若手噺家(はなしか)もいる。
帰り際、ふと目が留まったのがすり減って丸くなった本堂の敷居。数多くの人々がこの敷居をまたぎ、伝統芸能や文化と心を通わせたのだろう。井藤名誉住職は「身近なところに歴史あるお堂がある。それをどう多くの人に親しんでもらうか。ライフワークにしていきたい」と語る。
話を戻す。冒頭の名取試験に臨んだ高校生ら3人は見事合格。「一流の舞台、先生に会えたおかげ」と笑顔を浮かべ、文化の殿堂でもある堂内を見渡した。
(平岡雅彰)

<アクセス> JR明石駅からバスで太寺下車、東へ徒歩2分。山電人丸前駅から北へ徒歩8分
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
地域文化伝える“舞台” 高家寺(2009-07-17)











