2009年10月15日掲載
「命の神」として信仰集め 熊野神社
丹波市青垣町遠阪
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山と巨木に囲まれた厳粛な空間に本殿と拝殿が立つ=丹波市青垣町遠阪 |
丹波と但馬を山越えで結ぶ遠阪峠。丹波側の登り口近く、林立する杉の巨木に守られ、熊野神社は鎮座する。
静寂の中、石畳の上に歩を進める。重厚な構えの拝殿と本殿は、屋根の曲線が優しく、美しい。屋根の上に突き出た千木(ちぎ)が青空に映え、陽光を浴びて輝く。
社伝によると、13世紀後半、紀州熊野神社の分霊を約2キロ北の位知(いじり)山に勧請(かんじょう)。1459年、同山の岩窟(くつ)から現在地に遷座したとされる。
長く「命の神」として、あつい信仰を集めてきた。氏子は峠を挟んで丹波と但馬にまたがる。「戦時中には、出征する兵士やその家族が無事を祈ったと聞いています」と金子峰代宮司(54)は話す。
戦は終わり、境内は人々が憩い、子どもたちが遊ぶ場となった。自然に抱かれ、四季折々、鮮やかに装いを変える。夏、近くを流れる今出川にカジカガエルの美声が響き、夜には林間に光るヒメボタルと川を舞うゲンジボタルが幻想的に競演。冬は雪が化粧をほどこす。
イチョウの古木が色づく秋には、ギンナンを拾う人たちが集まる。「お葉つきイチョウ」と呼ばれ、葉にギンナンが付く不思議な木だが、「目的はそれだけではないのですよ」と金子宮司。聞けば「命の神のイチョウとして、離れて暮らす家族や親せきに贈る」という。大切な人の健康と長寿を祈る心は、いつの時代も変わることはない。
ところで、もともと神様がおられた岩窟はどうなったのか。小さな社があったが、しばらくは訪れる人も絶えていた。それが昨年末、住民たちが石製のほこらを新調し、再興した。
人を思いやる心と郷里を愛する心が、未来へと受け継がれていく。(仲井雅史)
静寂の中、石畳の上に歩を進める。重厚な構えの拝殿と本殿は、屋根の曲線が優しく、美しい。屋根の上に突き出た千木(ちぎ)が青空に映え、陽光を浴びて輝く。
社伝によると、13世紀後半、紀州熊野神社の分霊を約2キロ北の位知(いじり)山に勧請(かんじょう)。1459年、同山の岩窟(くつ)から現在地に遷座したとされる。
長く「命の神」として、あつい信仰を集めてきた。氏子は峠を挟んで丹波と但馬にまたがる。「戦時中には、出征する兵士やその家族が無事を祈ったと聞いています」と金子峰代宮司(54)は話す。
戦は終わり、境内は人々が憩い、子どもたちが遊ぶ場となった。自然に抱かれ、四季折々、鮮やかに装いを変える。夏、近くを流れる今出川にカジカガエルの美声が響き、夜には林間に光るヒメボタルと川を舞うゲンジボタルが幻想的に競演。冬は雪が化粧をほどこす。
イチョウの古木が色づく秋には、ギンナンを拾う人たちが集まる。「お葉つきイチョウ」と呼ばれ、葉にギンナンが付く不思議な木だが、「目的はそれだけではないのですよ」と金子宮司。聞けば「命の神のイチョウとして、離れて暮らす家族や親せきに贈る」という。大切な人の健康と長寿を祈る心は、いつの時代も変わることはない。
ところで、もともと神様がおられた岩窟はどうなったのか。小さな社があったが、しばらくは訪れる人も絶えていた。それが昨年末、住民たちが石製のほこらを新調し、再興した。
人を思いやる心と郷里を愛する心が、未来へと受け継がれていく。(仲井雅史)
〈アクセス〉北近畿豊岡自動車道青垣インターより車で約10分。
※この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。
「命の神」として信仰集め 熊野神社(2009-10-15)











